| 和装の名脇役として欠かせない帯〆は、日本伝統の組紐技術の粋を集めたものであります。手作りで生産される手組紐は、全国生産量のおよそ90%が大阪と名古屋の中間に位置する伊賀で組まれ、 昭和51年12月15日、国の伝統的工芸品に指定されました。 伊賀上野の街には、鈍い輝きが連なる瓦屋根、漆喰や土塀が残る路地や、その昔、都や旧東海道から伊勢神宮に抜ける交通の要所として、もの・人が行き交った時代のなごりを今にとどめています。文明開化には人々の暮らしを大きく変えた明治時代の建造物がいまも跡をのこし、それぞれの時代が生みだした文化が、とけあうように自然にたたずみ、それが伊賀上野の魅力です。復元された忍者屋敷の中には至る所にからくりが、忍びの生活や技を伝えています。
四方を山々に囲まれた伊賀の里を舞台に、観阿弥は能楽の思想を体現し、四季折々の美しい自然は彼らに何かを感じさせたのか。組紐の里、伊賀には、歴史と文化が息づいています。古くは万葉の歌に読まれる紐。古来、日本人と紐は、深い縁で結ばれています。
忍者の里としても知られる伊賀。忍術の貴重な文献といわれる万川集海(ばんせんしゅうかい)にも紐を用いた術の記載が、今を去ること300年以上前、忍者たちも組紐を使っていたのです。また、戦国時代、紐は鎧の威し紐(おどしひも)や、刀の下げ緒の紐として使われました。藤堂幡の城下町として大勢の武士が集まり都との交流も盛んであった伊賀、現在のように組紐の産地として知られる以前から伊賀と組紐の縁もまた深く結ばれていました。
くみひもは、こうした中で特に服飾の体系と深く関わり、重要な役割を担ってきた。絹糸が織りなす鮮やかな日本の美、組紐。わずかな幅の中に無限の世界が広がり、一つ一つの組目の中に、伊賀の人々の組紐への深い想いが込められているのです。そして、その技術は今に受け継がれ、和装の世界だけにこの優美な伝統工芸を留めるだけでなく、新しい伊賀オリジナルの想像、伝統へのこだわり、一方では既成概念にとらわれない自由な感性が、現代人の生活に驚くほど自然に調和しています。実用品だけにとどまらず、インテリアやアートとしての可能性を追求し、さまざまな生活の場に今も組紐が息づいている。 |